潜伏キリシタン
禁教の時代において潜伏した約35,000人の信徒達は、観音像を聖母マリアに見立て(今日、それらの観音像は「マリア観音像」と呼ばれる)、表向きは仏教徒として振舞いながら、ひそかに祈祷文「オラショ」を唱えた。また、メダイやロザリオ、聖像聖画、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵し、キリシタン灯篭を建立、生まれる子に洗礼を授けるなどして信仰を守った。
幕末の開国後の1864年(元治元年)、長崎の大浦天主堂を浦上(現・長崎市浦上)在住の信者が訪ねてきたこと(「信徒発見」と呼ばれる)から、海外でその存在が知られるようになった。キリスト教はいまだ禁教であったため、存在を再認識された信者は投獄や拷問によって棄教を迫られ、あるいは全国に配流されるなどの大規模な弾圧にあった(浦上四番崩れ)。明治政府によるキリスト教弾圧は諸外国の非難・批判を招くことになり、いわゆる『外圧』により、江戸幕府からの『キリシタン禁教令』が解かれることとなる。それ以後江戸幕府や初期の明治政府のようにキリスト教信者ということだけで重罪に処されることが無くなり、一部を除く隠れキリシタンや潜伏キリシタンが堂々とキリスト教信仰を表明し、再宣教のために来日したパリ外国宣教会などによって、祖先の信じたカトリック教会の信仰に復帰することとなった。現在では日本国憲法により『信仰の自由』が保証されているため、定義上潜伏キリシタンは現存しないとされている。
カクレキリシタン(離れキリシタン)
江戸時代潜伏していたキリシタン達の中には、数百年もの間司祭などの専門家の導きを受けることなしに自分達だけで信仰を伝えていったため、教義などの信仰理解が大きく変化し、仏教や神道などとも結びつき、もはやキリスト教の原形をとどめないきわめて日本的な俗信と化したため、カトリックに復帰せずに、今なお独自の信仰様式を継承している者達が、長崎県などに現在でも存在する。これを学術的に「カクレキリシタン」(すべてカナ表記)もしくは「離れキリシタン」と呼ぶ。
近年、過疎や高齢化によって「カクレキリシタン」の数は次第に減少している(1981年(昭和56年):推定3万人)。最近まで伝承が継続されてきた地域として、長崎県の五島列島などの地域が挙げられる。五島列島奈留島の火葬場の裏には現在も聖母マリアの姿をした墓がいくつも置かれている。現在も信仰を継承している地域は、長崎県平戸市(旧北松浦郡)生月町が挙げられる。長崎市外海町には隠れキリシタンの“神社”枯松神社があり、現在も例祭が行われている。
なお、未だカトリックに復帰しない理由については、信仰がキリスト教とかけ離れたというよりも、キリスト教徒ですらなくなってしまったという場合も多い。元来はカムフラージュであった仏教や神道の思想が本当の信仰になってしまい、キリスト教の信仰が完全に廃れてしまい、ただキリスト教起源の行事だけを、単なる「地域独特の伝統」として継承しているに過ぎないというものである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
禁教の時代約35,000人の信徒達がいたそうです。びっくりですね。
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